ちょっと眼の調子が優れず、”表”のブログの更新も滞りがちだったため、こちらの”裏”はなおさらほったらかし状態に。もっともこちらの方は”表”以上に誰も見ていない筈なので、ほとんど備忘録代わりになってしまっているわけですが、そろそろ更新を再開していきます。
というわけで、まずは再開第一弾として、少し前にkindleでリリースされた佐伯女史の新作を取り上げてみたいと思います。佐伯女史の作品にハズレなし、というのは自分の中ではもう当然の理となっており、本作もまた素晴らしい傑作なのは敢えてくだくだしく述べるまでもないでしょう。
作者あとがきにれば、本作は新作といっても、その構想は数年前に遡り、マドンナメイト文庫から刊行された傑作長編二作『美人秘書監禁! 甘美な拷問』、『令嬢奴隷 恥虐の鬼調教』よりも昔とのこと。女史もここで述べているとおり、本作にはこの長編二作の原型というか多くのモチーフが鏤められてい、その点でも非常に興味深い一篇に仕上がっています。
物語は、学生時代に敬愛していた老教授と再会したヒロインが、かつての恩師から苛烈な調教を受けることになるのだが、――という話。『甘美な拷問』においては、マドンナメイトというマニアの男性読者に向けた官能小説として、ヒロインが理由も分からずイキナリ監禁されてしまったところから責めへと流れていくスピーディーな展開が見所でしたが、本作では女史もあとがきに述べているとおり、M女性の側から恩師との運命的な再会をきっかけに調教へと傾いていく趣向が「商業的な男性向け官能小説では、まず通らないプロット」として要注目。
もちろんいざ調教が始まれば、佐伯ワールドならではの一般人であれば目も背けたくなるような厳しい調教がいきなり始まり、グイグイと引き込まれていくのですが、これを客観的な視点ではなく、女性の内面心理に大きく踏み込みながら繊細に描き出した構成が素晴らしい。『甘美な拷問』では、ヒロインが調教される理由が隠蔽され、苛烈な調教を通過儀礼として見事に耐え抜き美しく生まれ変わったヒロインの姿に重ねてその背景の謎解きがなされる趣向が秀逸でしたが、本作では短編ということもあって、そうした大仕掛けこそないものの、「商業的な男性向け官能小説」という制約にとらわれず、恩師とヒロインとの哲学的な思索も織り交ぜながら調教によって成長していくヒロインの肉体的のみならず、その内的思考までを活写した趣向が素晴らしい。
確かに被虐者と嗜虐者の交わりによる苛烈な調教を描いた本作は、紛れもなく官能小説であるものの、恩師の薫陶を受け入れ、人間存在のさらなる高みを目指そうとするヒロインと恩師との関係の骨子は、例えばインドの賢者とその弟子との関係にも通じるような気がします。すなわち前面に押し出されたSM描写のさらなる深奥に隠された小説的構成は、限りなくファンタジー小説や普遍的な神話にも近接しているような気がするのですが、いかがでしょう。
そうした視点から本作を繙いていくと、例えば「すべての穴をふさがれ、音も匂いも色もない状態」にされたまま、嗜虐者である師、すなわち賢者の教えの意味する真意を考えるよう促されるシーン、――いっさいの感覚器官を遮断することによって、没我の境地に到り、それによって深い瞑想に入るというのは、何やらヨーガの技法でもありそうだし、そんなふうに見ていくと、佐伯女史の小説ではお馴染みの鼻責め、――本作に登場するこの苛烈なシーンもクリアヨガのひとつの技法、ジャーラネーティーに見えてくるような気が、……するのはおそらく自分だけでしょう(爆)。
本作で師が弟子たるヒロインへ教え諭す言葉の数々も印象的で、「絶対服従の真の至福は、その先にある」、「おまえの体は、もうどんなことでも悦びに変えられるだろう」などというあたりに多分にインド哲学的、仏教的でもあります。ここでフと『アニスタ神殿記』の後半にも、イレナとフラウが”神の求める真実の愛”について議論をするシーンがあったことを思い出しました。ここでのフラウの台詞を引用すると、
「私 にとって大事 なのは、 ご主人 様だけ。 ご主人様のためなら、 なんでもできた。 でも、 それは神の求める真実の愛じゃない。 それでは女神として不足なの。 すべてのものを、 たった一人を愛するのと同じ深さで愛せないとダメなの。 あなたは、それができる」
「すべてのものを、 たった一人を愛するのと同じ深さで愛」する――ここにはウパニシャッド哲学の梵我一如の思想に通じるものが感じられ、また本作でヒロインが悟った「絶対服従の真の至福」にもまたそうした作者の深い思想が込められているような気がするのですが、いかがでしょう。
また本作では、主要登場人物の二人を恩師と教え子という設定に据えたことが非常に巧妙に作用している点にも注目でしょう。一般的な官能小説であれば卑俗な展開に利用されるこの二人の関係性が、本作では逆に嗜虐者と被虐者の関係は対蹠するものであるという官能小説の定石を忌避する方向へと作用しており、これによって官能描写そのものの先にある、ヒロインが到達すべき「絶対服従の真の至福」を描き出そうとしたこころみなどは、完全に官能小説の枠組みを超えているような気がします。この点においてもやはり本作は、ファンタジー小説の普遍的な骨法や、思弁小説を形をかりた作品であるような印象を持ちました。
また本作の後半、「机の下の楽園」にも通じるある悲劇をヒロインが襲い、そこから彼女は大きな選択を迫られるのですが、あえて彼女が何を選択したのかを描かず、その結末を読者に委ねた幕引きが心憎い。短編でありながら、哲学的な内容とその密度はかなり深く、また様々な展開やモチーフに佐伯ワールドのエッセンスが感じられる本作、ハードな『アニスタ神殿記』に通底する壮大な主題を、リアリズムのある物語世界によって描き出した本作は、佐伯女史の入門編としても強くオススメできる一篇といえるのではないでしょうか。オススメです。